誇りある人生に満足のいく締めくくりを!

◆介護は山登り。山頂近くが一番きつく、でも登頂すれば必ず終わる。

披露宴のお祝いのスピーチで、結婚生活を山登りにたとえる人がたまに
いらっしゃいます。では、介護も登山にたとえてみましょう。しかも、
ここは日本一高い山、富士山に登ってみましょうか。

介護生活の始まりとは、大体山を登り始めて何合目くらいでしょうか。
色々な意見があるとは思いますが、3合目ぐらいだと考えていた方が良
いでしょう。これから頂上までには、かなりの道のりがあります。しか
も、頂上付近は空気が薄くなっているので、歩く事すらも大変になって
きます。まさに介護はこれと同じです。

ふもとにいる、或いは2合目くらいは、要支援1や2、又は要介護1ぐ
らいまでの状態と言えるでしょう。介護度は、介護の手間を測るものさ
しですから、要介護1ぐらいまでならそんなに介護に割く手間はかかり
ません。ところがこれが、3合目から上に登るにつれ、要介護度が重た
くなっていきます。つまり、自分で出来ない事が段々と増えていくので、
介護の手間がかかる様になってきます。

定年退職が65歳程度だと考えれば、仮に90歳まで生きた場合、25
年間です。この間、介護が必要になる割合が高くなっていく訳です。要
介護3で10年とか、要介護4や5になってから5年経過する場合もざ
らにあります。人生の約3分の1は介護生活だったという場合が多々あ
るのです。

「死ぬ時は誰にも迷惑をかけない」「“ピンピンコロリ”で死ぬから」
と言っている人に限って、周りの人に迷惑をかけて亡くなる場合が多い
事はよく知られています。誰もが通る道なのです。もちろん、あなたも。
心の準備は出来ていますか?

◆最期を決めるのは方法ではなく、それまでの過ごし方である

人に迷惑をかけない死に方なんて、本当にあるのでしょうか。

介護の仕事をしていると、朝、施設のスタッフが、或いは一人暮らしの
方の家に訪問してみると、既に冷たくなっていた、と言う様な事例や、
そろそろ危ないと家族の方を呼んで駆けつけたら、少しの内に静かに亡
くなった、という例は、結構当たり前の様にあります。

例えば、ある高齢者住宅に入っていらっしゃる95歳の男性の方は、ガ
ンが既に皮膚にまで転移してしまっており、手の施しようがありません
でした。

主治医も「よくこの状態で生きておられる!」と驚いていたほどの病状
でした。と言うか、その様な生きざまを自分でお選びになられていまし
た。この住宅は、介護状況がかなり重度になった方や、ガンの末期の方
などが、終末期を迎えるための家になっており、1分くらいで隣の病院
から医者が駆け付ける事が出来ますし、酸素吸入器と痰の吸引器が家の
中に中央配管されています。これは、病院のシステムと同じ。

ガンの末期になると激しい痛みに襲われる事が多く、普通の痛み止めで
は効かずに、鎮痛用の麻薬を使用する事があります。しかしこの方の場
合、そういった麻薬は一切使わず、介護は受けていましたが意識もハッ
キリしており、食事も食べる事が出来ていました。まさに「粛々と」生
活されていらっしゃったのです。家族は皆、遠くに住まわれており、一
番近くても沖縄の、しかも離島という環境でした。

実はそこの娘さんが面会にこられ、昼間は一緒に過ごして夜、ホテルに
戻ったその夜中に、ひっそりとお亡くなりになったのです。ですから、
死に目に会えたのは誰一人として居ないのですが、娘さん曰く「人に迷
惑をかけたがらないのが父だったので、こうやって亡くなると思ってい
ましたよ。」との事でした。スタッフから見ても、まさにこの方らしい
亡くなり方だったのです。

この様な最期は、本人とご家族、それぞれがお互いを大切に思う気持ち
があってこそ迎えられるものだと感じます。ですから、それまでの生き
方というものが非常に大切なのです。病院で延命処置を施し、沢山のチ
ューブが身体につなげられ、意識もないまま機械によって心臓だけが動
かされている・・・、この様な最期を迎えた方には感じられない感情を、
スタッフも共感する事が出来たのです。

「どんな姿でもいいから生きていて欲しい」と思う気持ちを否定はしま
せんが、この様な最期を迎えた人を実際に見ると、まさしく、家族の絆
をしっかりと感じ、そして最期までそれを保ちながら終りを迎える方法
がないのだろうか・・・と、人生観が180度変わるのかもしれません。

◆周りのおせっかいは、時に仇となる

施設入所を決めるいきさつは、それぞれの家族によって全部異なります。
それは、周りで見ている第三者からは決して解らない様な内面も秘めて
いるものです。

たとえば、90歳代のお母さんを介護している50歳代の娘さんが施設
への入所申込に行った時の事です。お母さんは要介護5なので、生活全
般において介護が必要な状態。話によれば、週に3日のショートステイ
利用の間に娘さんは外出して用事を全て済まし、残りの4日は家から一
歩も出ることなく献身的な介護を続けてきたそうです。

しかし、申込に付き添って行った娘さんの娘さん、つまり入所される方
からするとお孫さんにあたる方の言うには、「お母さんは自分も病気が
ちだが、一人娘なので他に頼る人がおらず、自分も外に出ているので家
には戻れない。これ以上、家でおばあちゃんを介護するのは無理だと思
う。」と言うのです。

担当のケアマネージャーも同じ意見の様で、娘さん本人もこれ以上続け
ていく事は難しいと考えておられ、入所申込に至ったとの事でした。

しかし、話を聞いている施設の所長は、どうも腑に落ちないのです。ど
う見ても娘さんは、施設に入所させる事について、真に納得していると
は思えない感じがひしひしと伝わってきます。そこで所長がそのお孫さ
んに聞いてみました。

「周りに流されて、自分の本当の気持ちを押し殺して、施設にお母さん
を入れなくても良いのでは?入れても、あなたも幸せにはなれないんじ
ゃないですか?」と。

すると、その言葉を誰かからかけてもらう事を待っていたかの様に、
「実はそうなんです・・・」と。

周りの人達は、病気がちな娘さんが高齢のお母さんを介護して、二人と
も倒れてしまう事を本当に心配して、色々とアドバイスをしたつもりか
もしれませんが、周りから見ていても、本当の関係というのは解らない
ものです。

というのは、この親子は、娘さんは確かに介護をしてお母さんの生活を
支えていましたが、それを行う事で娘さんの精神的な支えにもなってき
たのです。つまり、お母さんは、介護5になって全てにおいて手助けが
必要であっても、精神的には自分の娘を支えていたのですね。

この様な、根底が深い絆で結ばれている家族は、あまり周りに迷惑をか
けないものです。そして、きっとこのお母さんの最期には、医療は必要
ない事でしょう。精神的な支えという、人間にとって一番大切なケアが
充実しているからです。

この様に、周りのおせっかいも時に仇になる事もありますし、何よりも、
適切な医療が施されているのかを疑問に思う時もあります。人間として
最期まで生きて行くのにあたり、必要のない医療を提供する事で、余計
に苦しめているのではないだろうか・・・と。

◆本当に良い人生の締めくくりとは?

「家の畳の上で死ねたら本望だ」そんな言葉を昔はよく耳にしたもので
す。しかし、今の家は洋風になってしまいフローリングだらけ。畳が無
い家も多いでしょう。冗談のつもりで話をしていますが、この話の根底
は冗談ではありません。つまり、畳がフローリングになったからと言っ
て問題視される事はなく、要は「自分の家で死にたい」と言っているの
ですよね。

今の介護保険制度を十分に活用出来れば、例え末期ガンだとしても自宅
での最期は可能な場合も出てくるでしょう。家に居ながらにして、医療
も看護も介護も受けるシステムは整っています。もちろん、環境的にそ
の様に整備されていない地域は難しいですが。しかし環境面だけではな
く、自宅で死を迎えるというのは、色々な医療や科学が発達している今
だからこそ、余計に困難を極めるでしょう。どこで踏ん切りをつけるか、
どこで積極的な医療の介入を中断するか、色々な選択肢を迫られるから
です。

お義父さんがガンの末期だという事が解り、最期は自宅で看取りたいか
らと、仕事の休暇をとって在宅介護をしようと考えていたある看護師が
いました。本人は、いよいよ最期・・・、となるまでは仕事を続けるの
で、その時になったら仕事を休ませてもらおうと考えていたようですが、
理解のある職場で、仕事をしながらなんて言わずに、介護休暇をしっか
りとって、万全の態勢で看てあげる様に配慮してくれました。

家でも過ごせる様に介護ベッドなどを整え、その他の必要物も準備し、
入院している病院に毎日通い、「家に帰りましょう」と話をし、さぁい
よいよ明日退院!となった退院前日、容体が急変して病院で亡くなって
しまいました。

この家族は、後悔したのでしょうか。「もっと決断が早ければ・・・」
「もっと準備を早く整えておけば・・・」と。いいえ、誰からもそんな
声は出ずに、自分達はやるべき事を行った、と、胸を張ってお義父を送
りました。

きっと、お義父さんの愛情だったのでしょう。迷惑をかけたくないとい
う・・・。みんなが自分を迎え、最期まで支えてくれようとしていた事
は十分に伝わったのですから。それだけで、満足されたのでしょう。

この様に、真正面から家族みんなで介護に真剣に取り組めば、どんな形
であってもその家族にとっては満足のいく形で終える事が出来るのです。

ですから、「自宅で亡くなったから満足、よくやった」「病院のままだ
から可哀想だ」ではないのです。どこで最期を迎えるか、場所の問題で
はないと言う事です。

要は、自分が家族から愛されていると感じられながら最期を迎える事が
出来ること。その瞬間、自分の人生に誇りをもて、良い人生の締めくく
りが出来るのかもしれません。

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