愛憎劇の裏に本当の家族の愛情がある

◆命のバトンを繰り返す事により人としての強さを育む

誰しも、一人きりで生きてはいけないもの。必ずどこかで、誰かと関係
性があるはずです。赤ちゃんとして生まれ、様々な事が起こり続けた人
生を一生懸命歩み、そしてやがて誰しも亡くなっていく・・・。この繰
り返し。

ですから、生きている家族は、きちんとその繰り返しを命のバトンとし
て引き継いでいかなければなりません。

介護が必要になれば、当然次には若くて元気な身体を取り戻すのではな
く、段々と状態が悪くなっていく事が目に見えています。ですからこの
ときに、孫が居るとすれば、おじいちゃんやおばあちゃんとしての姿を
見せておく必要があります。出来れば、何回も。

そうする事で、段々と変わっていってしまう祖父母の姿を実際に目にし、
話をし、自分の体験として培っていく事により、人間という存在は、自
分も含めて、いつかはこうなっていくものだという事を教えていく事が
出来るのです。

急死や事故死でなければ、自然と、年を重ねている人から弱っていき、
介護が必要になり、亡くなるという「順番」を理解する事が出来ます。
こうする事で、自分の人生についても考えるきっかけとなり、命を大切
にし、人間としての強さを持つ事が出来るようになるのです。

◆何から何までやるのではなく、支えていくだけが良い

介護者にも子供が居るとしましょう。子供は、自分の親が祖父母に対し
てどの様に接するかを見ています。ですから、自分の親を大切にしない
人は、自分の子供から大切にされる訳がないと言えるでしょう。逆に、
子供に対して甘い人は、親に対しても甘い傾向が見られます。

ここで子供が出てきましたので、もう少し子供を例にとって考えてみま
しょう。子育てをする時に注意したいのは、あまり親がしゃしゃり出て
いって子供の人生を踏みにじってしまう事かもしれません。

親の仕事は、子供が自分で正しい道を歩めるように、選択肢を決めるの
ではなく、選択肢から選ぶ基準を教え込んでいくということとも言えま
す。子育てが、子供が生きていくために必要な事を教えていく事であれ
ば、介護も「生きる」事ですから同様。

つまり、介護の中心は介護者なのではなくて、介護してもらう高齢者な
のです。ですから、介護者が一生懸命頑張って介護という「生活」をし
ていくのではなく、親が頑張って自分の人生を生きていける様に、
「支援」するのです。

たまに、介護者が頑張り過ぎているケースを見かけます。頑張って疲れ
果ててしまい、「きちんと」やれない自分に更に苦しんでいく。これで
は悪循環しか生まれません。

人は、他人の力を借りてとは言え、自分で自分の生活をなんとかする能
力を身につけながら生きているはずです。特に高齢者は色々と経験して
いるのですから、知恵も知識もあり、工夫も出来ます。周りがあまり頑
張り過ぎてしまうと、介護を受ける本人はその能力を発揮する事が出来
ずに、生活が上手に回らなくなってしまいます。

自分でやろうとしても出来ない事があった時に、どうやればそれが出来
る様になるのか、どうしても出来なければ何か代替え案はないのか、も
っと根本的に違う事で補えないのか、などを想像力を働かせて考えてい
きましょう。ともすれば、思いもよらない助けがどこからか差し伸べた
りする事もありますから・・・。

介護には「きちんと」は必要ありません。出来ない事を支援するだけで
良いのです。この様に気楽に介護をしていれば、子供達があなたの姿を
見て、「こんな気楽な介護なら自分達にも出来るかも」と思ってくれる
かもしれません。

◆生きていく事に価値を見出す事が出来るのが介護

これだけ超高齢化社会になったとしても、まだまだ介護とは「他人事」
という人が大勢いると思います。ですから、親が倒れたなどの突然の出
来事でいきなり介護という現実が迫り来るものとなり、何も準備が出来
ていなかったのでとりあえず施設に入れて、あとは施設にお任せ・・・、
という状況になることも多いと聞きます。

自分の立場におきかえてみましょうという事を述べてきましたが、これ
が自分だったらどうでしょう?昨日までピンピンと元気に生活を送って
いたのに、いきなり倒れて、目覚めたら自分で身体を動かせずに、話も
出来ずに伝えたい事も伝えられず、困った家族が誰も知り合いの居ない
施設に自分を送り込み、それで満足してしまい、滅多に会いにもきてく
れない・・・。

これが、「人生」でしょうか。人生の集大成がこの様な形で終る事を、
あなたは望みますか?

あなたの決断は、これと同じ事を親に強いるのでしょうか。介護が必要
になった高齢者にとっては、介護生活が人生の集大成、しめくくりなの
です。

いずれ、介護者も親と同じ道を歩む可能性が高いはずです。という事は、
親の介護を考えていくと言う事は、自分自身の人生にとっても練習にな
ると言えます。

亡くなったあとは、いわゆる天国だとか、この世以上の物が存在してお
り、そこで豊かな生活を送るための練習の人生だ、と位置付ける考え方
もあるようですが、それも案外役に立つのかもしれません。

というのは、この世だけが全てではないと思える様になった時、生きて
いく意味自体が広がっていくものですから・・・。

「自分はなんのために生まれてきたんだろうか・・・。何の役割がある
のだろうか・・・」自分の存在価値について悩む人が最近多くなってい
る様ですが、今、あなたがすべき事が、あなたの役割なのではないでし
ょうか。

もちろん、人それぞれです。配偶者との生活や子育てなのかもしれませ
ん。そして、親の介護の場合もあるでしょう。いずれにせよそれら全て
が練習であり、その練習をしっかり務める事が出来なければ、次の世に
行った時に豊かな人生をおくる事が出来ないかもしれない・・・、とい
う様な考え方もあるのです。

悩んで、困ってしまい何もやろうとしないのではなく、しっかりと自分
の足で立ち、立ち位置を認識し、自らの務めを果たしながら、親の面倒
もみていく。介護の向こうに待っているものを信じて動いてみる事で、
介護をされる親も介護者自身も、人間として送る生活の最期の場面を、
例え一緒に暮らしていなくても、心のつながりを持って過ごす事が出来
るかもしれません。

自分自身の人生の意味を見つめるのが介護生活であり、それが命のバト
ンとなって繰り返され、自分の子孫に自分の存在意義が伝わっていく。
一人一人の人生は、切れたら終わりなのではなく、先祖から子孫へと大
きなつながりを持ち続ける永遠の存在なのかもしれません。

◆どんな介護のプロでも家族にはかなわない

身体介護などには、介護を受ける側にも介護者にとっても、無理のない
安楽な方法があったりしますので、それらはプロに任せる事でお互いが
気持ち良くなれるかもしれません。せっかくの介護保険ですから、十分
に利用しましょう。こう考える事で「きちんと」ではなくて任せられる
事は任せるという「気楽」な介護の足がかりになるでしょう。

よく、「こんな嫌な事をお願いしちゃって・・・ごめんなさいね。」と
恐縮される家族がいらっしゃいますが、プロはそれをやる事が仕事なの
ですから、買い物をした時の会計をお店の店員に任せるのと同じ様に、
頼める事は頼みましょう。

しかし、プロでも出来ない仕事があります。それが、精神的な支えやつ
ながりなのです。どれだけ疎遠であっても、やはり「家族」は「家族」
なのです。どんなに技術や知識や思いやりや優しさがあるプロでも、こ
れに代わる事は出来ません。

これを裏付ける様に、例えば認知症の方の場合、家族の顔すら忘れてし
まう事があるでしょう。そして、本当は娘なのに「姉さん・・・」と、
親の姉に急になってしまう事もあります。

いたたまれないかもしれません。

でも、認知症の高齢者は、施設のスタッフの顔を見て「姉さん・・・」
とはあまり言いません。自分の親族に間違えるのは、やはり家族。

ですから、「姉さん…」と言われたら、“やっぱり血は争えないものよ
ね。私はおばさんに似ているんだわ”というぐらいのかる~い気持ちで
受け止めましょう。やはり、「家族」は「家族」という精神的なつなが
りがあるのです。

◆ストーリーをつなげていく事が出来るのが家族

もう一つ、家族にしか出来ない事と言えば、「思い出をつなげていく」
事です。これも、いくら優秀なスタッフが居たとしても不可能な事。

もちろん、その思い出を、好きだった歌を、好きだった食べ物をスタッ
フに伝える事は良いでしょう。その様な情報は、プロならプロである程
に欲しい事です。

ですが、家族が一緒に居て、大好きな歌を一緒に歌って、大好きな食べ
物を一緒に食べる事が出来るとしたら、そんなに素晴らしいい事はあり
ません。施設のスタッフとは培ってきた歴史が違います。この歴史は、
家族としての絶対的な愛情が根底にあるものですので、誰かが代われる
事ではないのです。

認知症の心理療法に「回想法」という療法がありますが、これは、その
療法を受けている人それぞれが、それぞれの記憶を呼び覚ましていくも
のです。

記憶といっても、認知症の方からは断片的な記憶しか引き出せませんし、
自分の都合に合わせて作り出した勝手気ままの良い物語になっている事
があります。

しかし、ここに家族が居て、それぞれの記憶を出し合うと、この断片的
な記憶はつながりを持ちます。そして、その家族にしかないストーリー
が呼び返されるのです。これはまさに、家族にしかできないこと。

介護生活を始めるという事は、過去の記憶とは異なった新たなストーリ
ーを作り始める事と同じかもしれません。それは決して、辛く苦しく思
い出す事もしたくない様なストーリーではなく、愛する親を囲んで、愛
情と笑顔と少しの涙で締めくくるような物語でありたいものです。

◆ぶつかり、受け止め、励まし、みおくる、それが順番

介護とは、決してきれいごとで済むものではありません。家族の愛情が
ある分、裏側には「憎」も存在します。これがありながらも最終的には
愛情が優先されていくものが「家族」なのです。憎み合いながらも感情
をぶつけ合える事が出来るのは家族ならではの事です。他人とは考えら
れない関係性とも言えます。

この点、同性同士の感情の方が色々と交錯する事が考えられます。家族
であっても異性というのは、自分が理解できない面も持ち合わせていま
すから、一歩引く事もあります。この感情は、小説や映画の題材にも事
欠かないくらいの関係ですから、いっその事楽しんでみるのはいかがで
しょうか。まるで、小説や映画の主人公の様に。

涙を交えながら「本当はあの時、こう思ったんだ。だからこうして欲し
かったんだ。」と正直な想いをぶつけてみればいいんです。たとえ相手
がそれに応えてくれなかったとしても、やってみる事です。

そうすれば、相手はそれを受け止めて「そうか・・・それは悪かったね」
謝ってくれる様な、そこで、かつての威厳ある親なのではなく、自分が
守っていかなければならない人なんだという事に気がつくでしょう。

最終的にそれに気がつくまで、我慢をせずに「愛憎劇」を繰り返してい
けば良いのです。これは、親を亡くしてしまった人には決して出来ない、
思い出作りです。ですから、生きているうちに、きちんと「憎」の感情
も伝えながら、それでも愛が上回りつながり続けるのが家族なんだとい
う事を、親にも感じてもらい、自分自身でもかみしめていきましょう。

表面上だけ繕って、周りから「理想の介護生活だ」なんて言われたって
仕方ないのです。この様な事を繰り返して乗り越えた上で親を見おくる
事が出来れば、今度は残された自分自身がしっかりと生きていかなけれ
ば・・・、と決意する事が出来るはずです。

全ては、順番の成せる技なのです。

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