老人ホームに入居することを決断する時

高僧は、死が近づいていることを察知して、死ぬ一週間前から絶食して安らか
に死を迎えるそうです。

老人ホームに自ら入る場合には、死を迎える前の準備のような心構えが要りま
す。有料老人ホームへ入居する前に、住み慣れた自宅を処分し、老人ホームへ
持っていけそうにないものを、人にあげたり、廃棄して身軽にならなければな
りません。

もう二度と引き帰して戻ることの出来ない道を歩き始める思いです。子どもた
ちは各々独立して家庭を作って、孫も元気に育っています。ただ、子どもたち
は毎日の生活に追われ、老親の世話までする余裕はありません。老人ホームに
入る決断を子どもたちに伝えた時に、子ども達はホットしたような表情をした
と感じたのは気のせいでしょうか。

子どもたちの方から「申し訳ないけど、老人ホームに入って欲しい。」と言っ
てくる前に、自ら「老人ホームに入る。」と伝えられたことは良かったと思う
ことでしょう。

子どもたちが老親に老人ホームに入ることを言い渡すことも勇気が要ります。
世間では、家族と引き離されて老人ホームで死ぬのはかわいそうと見られて
います。たとえ子ども達と一緒に暮らしていない独居老人であっても家族に引
き取られずに老人ホームに入るのは不幸なことと思われています。

認知症などの病気が進んで日常生活に介助なしでは生活できなくなった時が、
周りの人が老人ホームへの入所を判断するきっかけです。しかし、本人に言い
渡して納得させるのが一苦労です。周りの人の苦労を察して自ら進んでという
のは小数。

介護を受けるものは抵抗する余裕も気力もなくて、信頼した家族に、言われる
まま涙ながらに従うだけです。スムーズに入所に至らせるには、認知症などの
病気の軽い内に、デイサービスに通うのを手始めに、ショートステイを経験し、
本人も周りも介助無しに生活できない現実を少しづつ知って、何か決定的なこ
とが起こって、ついに有料老人ホームに入居させるという経緯が必要です。

「楢山節考」(ならやまぶしこう)という深沢七郎の有名な小説があります。
孝行息子が村の掟に従って、姨捨山へ老母を背負って捨てに行くという悲しい
話です。

自ら犠牲になって食い扶ちを減らして家族を助けようとする老母の覚悟と、自
分を育ててくれた老母への愛情を断ち切れない孝行息子の葛藤とが描かれてい
ます。

老人ホームに入居させることは、この小説に描かれた老母と孝行息子の思いで
す。未来ある若者の生活を守るために、老親は犠牲になります。ただ現代は医
学が進んでおり、老人ホームに入ったからといって、死と直結するわけではあ
りません。

入所は淡々と行われ、悲壮感が無いのはそのせいです。送ってきた子どもは、
入所した日の別れ際に、「また会いに来るからね。」と老親に語り、これで一
安心とほっとします。

人は誰でも人の役に立ってこそ存在価値があり、生きがいがあります。自分は
未来が無いからと自己犠牲の気持ちでも、これから過ごす老人ホームでの生活
は長いものです。生きがいを新たに見つけ出すことが必要。

たとえ体は動けなくなっても、自分のできることは何か、誰かに喜んでもらい
たいとの思いは、老いても頭の中に巡っています。

老人ホームに持ち込める私物はそれほど多くはありません。持ち家を売却して
入所する場合は、思い出のあるものを断ち切るように捨ててきます。自分が生
活していた部屋をそのままにして入所する場合は、あれを持ってきて、これを
持ってきて欲しいと、際限なく未練が残ります。

視力が衰え、耳も遠くなり、体力も衰えても、夢が頭を巡っています。人は、
老いも若きも息を引き取るまで、人であり続けようとするのは同じなのです。

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